―― 旅が作品のテーマになっていますね

10年近く各地で展覧会を続けて、それ自体が旅でした。知り合った人の家に泊めてもらったり話をしたり、その都度、旅が豊かになる。

2012年には沖縄でネパール料理店をやっているジェシーの実家を訪ねました。首都のカトマンズから丸2日がかりでたどり着いたのは、山の中の小さな村。ジェシーの写真を見せたら、お母さんは泣いていましたね。

目的地だけでなく、そこに行くまでの行程も、そこで感じる質感や体験したエピソード、困難やトラブル、全部含めて旅。旅から帰ってくると、自分が満たされているのに気付きます。それが全部作品に反映されています。

くらしの器と切子ガラスの店「結」
京都市中京区麩屋町通・御所南 器と切子ガラスのお店「結」
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梅原 龍

―― 子どものときから画家になろうと思っていましたか?

特に画家になろうと思っていたわけではありませんが、画家という生き方がイメージできる環境にはありました。

小学校4年生までは富山市で暮らしていましたが、一緒に住んでいた祖父は芥川賞候補にもなった小説家の岩倉政治。棟方志功さんとも交流があったそうで、家の欄間には棟方さんの版画作品が5〜6枚、飾られていました。まだ文字も読めない頃から何年も、棟方さんの作品を眺めて暮らしていたんです。

梅原 龍
作家紹介

それ以降、爆発的にいろいろな絵が描けるようになりました。画材も水彩絵の具やクレヨン、水彩色鉛筆と広がり、芋版・あぶり出し・糸まで使うようになりました。その後はどんどん作風の幅が広がって、今はやりたいことが目白押しです。

唐十郎の芝居に衝撃。アングラの世界に


―― すごい環境ですね。青春時代はどんな感じでしたか ?

東京の大学に進学したんですが、ある日、唐十郎さんの紅テントの芝居(状況劇場)を観たんです。子どものころから馴染んでいた新劇とは全く違う世界。驚くべき衝撃でした。それから一気にアングラの世界にのめり込んで行きました。

講義にはほとんど出ず、前衛作品が多かった「セゾン美術館」や、アート系の洋書店「アールビバン」、CDショップの「WAVE」なんかに入り浸り。そこには、それまで知らなかった世界が広がっていました。

Umehara Ryu

―― 今後、やってみたいことは ?

5年ほど前、思い出の中にある子どもの姿を描くことと、いま生きている時代を表現することと、どうバランスをとるかで悩んでいました。

そんな頃、韓国で初めて僕の作品を見たデザイナーに、「あなたには描きたいテーマがあるのに、人物がそれを見えにくくしている」と言われて驚かされました。そこで次の展覧会では、人物なしの作品だけを出品してみたんです。それまでとはまったく違う作風だし、お客さんを失うのではと心配でしたが、それが好評で…。

梅原 龍
梅原 龍
梅原 龍
梅原 龍
韓国人デザイナーのひとことでふっきれる
梅原 龍

1967年   富山県生まれ
1989年 ヨーロッパアンティークの修理工房勤務
1997年 作家活動開始
雑誌、出版物等に挿絵、詩、布絵、随筆等を掲載
現在 沖縄県南城市玉城字玉城在住

梅原 龍

画家になろうと決心したのは、大学を出てアンティーク家具の店で働いていた29歳のとき。母の展覧会に僕の作品も出してみたら結構売れて、そこに可能性を見出したんです。

小説家、音楽家、画家 ―― アーティスト一家に生まれる

旅先で集めた布を張り合わせ、上から色を重ねる「布絵」の作家、梅原さん。今では作風も広がり、古い家具や外国の切手など、さまざまな素材を使って、創作されています。旅の話や人との出会いなど、ここでは紹介しきれないほど、数々のエピソードを聞かせてくださいました。その一部を紹介します。

富山市内で歌声喫茶をやっていた父は、後にシンガーソングライターの梅原司平として音楽活動に専念することになります。歯科衛生士の母は独学で画家(布絵作家の梅原麦子さん)になり、母のお姉さんは「青年座」の女優(岩倉高子さん)です。


こういう環境は、今の僕に大きく影響していると思います。

影響面で絶対に外せないのは、小学校4年生のときに埼玉に引っ越してから始めた、子ども会活動です。子どもから大人まで一緒になって、キャンプをしたり雪山に登ったり…。楽しくて、ずっと続けていました。僕の初期の作品には必ず、冒険する少年少女が登場します。それはこの子ども会の体験が原点です。

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