――大井さんの器の特徴のひとつでもある蛍手について聞かせてください

フィンランドの陶器で初めて蛍手の手法を見て、その美しさに衝撃を受けました。いつか手がけたいと思っていたのですが、自分なりの表現が思いつかないまま、時間が過ぎました。

ある時、陶器の絵付けをやっている妻が持っていた本の中に「瓔珞(ようらく)紋」という柄を見つけ、「これだ!」と思いました。古代インドにルーツがある伝統柄で、「点」で文様ができているのも蛍手にぴったり。探していたものが見つかった気がしました。





めざすのは、器を通じた「三方良し」

京都市中京区麩屋町通・御所南 器と切子ガラスのお店「結」
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――何か心がけていることはありますか

近江商人のモットーである「三方良し」(※2)という考え方が好きです。

 今でも、初めてお店の方に作品を買っていただいたときのことを覚えています。それまでも展示会やフェアなどで、お客様に直接買っていただいたことはありますが、それよりもうれしかった。お店を介して売れたら、お店の方とお客様の両方に喜んでもらえますから。もちろん僕も嬉しい。まさに三方良しです。

自分を芸術家だとは思っていません。作っているものも作品というよりは商品に近いかな? 僕が作ったものを通じて、多くの人に喜んでもらえればありがたいです。


Oi Hiroshi

音楽でできなかった表現ができる!
いきなり陶芸の虜(とりこ)に
大井 寛史 

2005年 京都府立陶工高等技術専門校 成形科修了
2006年 京都府立陶工高等技術専門校 研究科修了
2007年 京都の窯元に、ろくろ師として従事
2009年 独立。大阪で開窯
2010年 松本クラフトフェアに参加。京都に移転
2011年 島屋京都店で個展開催

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「結」で開いた「ちょこっと展」(2013年7月)で、美しい蛍手(ほたるで)(※1)の器を披露してくださった大井さん。発想を形にできる陶芸の楽しさに魅せられ、仕事を辞めて専門学校に。30歳を過ぎての思い切った決断でした。「作品というよりは、商品に近いのでは」―― 自作をそうとらえる大井さんに、陶芸を志したきっかけや、器に込めた想いを聞かせていただきました。

――それでいきなりプロになろうと?

陶芸教室に通っているうちに、こういう仕事もあるんだと気付き、職業として考えるようになりました。そのためにはちゃんと勉強しなくてはと思い、職場を辞めて京都の職業訓練校(京都府立陶工高等技術専門校)に入学。大阪の実家から通い始めました。30歳を越えていたので、これが最後のチャンスだとの思いでした。

将来、陶芸教室でも開けたら、と考えていたのですが、作家さんたちと知り合ううちに、自分で作るということに魅力を感じるようにまりました。

卒業後は京都の窯元で轆轤(ろくろ)師として2年半修行を積み、大阪で開窯。今は京都で作陶を続けています。


釉薬にも工夫しました。文様(穴)を埋めている釉薬が、細かく泡立っているように見えるのがおわかりいただけると思います。完全に透明だと、光が透けすぎてしまう。「光が残る」ように、この釉薬を使っています。涼しげで、夏の料理によく合うと思います。 


――将来像は? 

10年先も、今のままで作陶を続けていられたらいいですね。

そして経験が作風からにじみ出てくるようになりたいです。芸術家ではないので、作品を残したいとは思わない。それより日常の器として愛用してもらって、「まだずっと使っているよ」と言われたら、嬉しいでしょうね。

長く使い続けてもらうことが、最大の喜び

――作陶のきっかけは?

以前、神奈川県のあるお店に勤めていた頃、陶芸教室を開いている同僚がいました。その人の家に遊びに行ったときに、陶芸も体験させてもらったんです。そうしたら自分のイメージが形になっていくのがとても楽しくて、夢中になってしまいました。

高校、大学とロックバンドに熱中しましたが、コピーが中心で、音楽で自分を表現するところまでは行きませんでした。でも陶芸は自分の思うように形が作れる。そこにはまってしまったんです。それからは毎週、その教室に通い詰めました。

ちなみに今でもハードロックを聴きながら作陶をしています。しんどい作業のときでもテンションがあがって、仕事がんばろう!って思えるんです。

※1 素地に透かし彫り(穴や切込みを入れること)で模様を描き、模様の部分を透明の釉薬で埋めたもの。模様の部分は光が透ける

※2 「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」…つまり、売り手にも買い手にもメリットがあり、社会貢献にもなる商売のこと。江戸時代に商売で身を立てた近江商人の心得